コンテンツの価格が均一化していく話
AmazonのKindle unlimitedがスタートした。
本サービスの内容は、月額980円で、本・雑誌・コミックを好きなだけ読むことができるものである。ユーザーからすると万々歳なんだけど、クリエイターからするとどうなんだろうと思った。
色んな所で議論が広がってそうなテーマなので、これを機にプラットフォームとコンテンツの関係性について纏めてみたいと思う。
まず、ユーザーがコンテンツにお金を払うのでなく、プラットフォームに価値を払うようになると、コンテンツの価値は必然的に下がるようになる。
原則として、プラットフォームはコンテンツを守るような役割を持っていない。プラットフォーム側がコンテンツを作るようになれば、コンテンツを高く売って儲けるようにするのだが、普通はそのようなこともなくAmazonプライムやKindle unlimitedといったプラットフォーム自体にお金を払う「会員制モデル」が主流になっている。
iTunes、楽天、LINEなど、プラットフォームを持つ企業が、同じようなサービスを展開しているのもそのためだ。(特に、Amazonと楽天の戦略は驚くほど酷似している)
顧客はコンテンツでなく、プラットフォームに価値を感じるようになると、相対的にコンテンツの価値は下がっていく。
今までに似たような出来事が何度かあったような気がする。
・AppleがiTunesを出した時、初期はクリエイターが優位な契約条件だったが、年々それが逆転してきた。
・携帯のキャリア戦争の時、着メロや着せ替えなどのコンテンツは宣伝材料として使われた。
特に、携帯キャリアがわかりやすい事例で、会員の獲得に向けてのキャンペーンでは、キャリアの電話料金でなくコンテンツの価格を下げる方が多い。
参考サイト:コンテンツを客寄せの道具にしないために。|川上量生の胸のうち|川上量生|cakes(ケイクス)
落合陽一著書「魔法の世紀」の一節で、「コンテンツは、プラットフォームの設計によって作られ、その文脈を外れることはない」という言葉があった。(うろ覚え)
結局、コンテンツはプラットフォームの枠を出ないのである。
人がプラットフォームにお金を払う設計ができてしまえば、コンテンツにお金を払うという行動・考え自体も減っていく。
コンテンツを「商品」とし定義の幅を広げると、類似する業界がいくつか見られる。
農業のJAが、野菜を一定の価格で買い取るのもそうかもしれない。クオリティの平準は保たれているが、良い野菜を作っても他と同じ値段で流通される。
米国で起きたアタリショックも、ゲームソフトを精査せずに生産・販売した結果、クオリティが大きく下がった。
プラットフォームが力を持つたびに、クリエイターの作ったコンテンツは買い叩かれやすくなる。流通側(プラットフォーム)が買いやすくなるからだ。
その結果、次は質の低いコンテンツが生まれるようになっていく。よく考えると普通のことで、日本の書店で400円で売っている本が物価の安い後進国でも(ほぼ)同じ値段で売られるようになる。
クリエイターのインセンティブが減るから、結果的にコンテンツの質の低下に繋がっていく。
以上が、コンテンツの価格が下がる原因となる。次に自分なりにコンテンツの価格を守る方法について考えたみた。
一つは値段設定の幅をもたせること。
クリエイターがコンテンツの値段を決められることで、コンテンツの均一化を防ぐことができる。今回のニュースを例に挙げると、プロモーション以外の価値を持つようになる。
日本の「note」のようなサービスがイメージに近い。クリエイターが自分で宣伝販売をしなければいけないという煩わしさがあるが、面白い取り組みだと思う。
個人的に「note」の面白いところは、広告やアフィリエイトしか収入源がなかったブロガーが、原稿自体に価値を付けることができたのである。価格設定を自由に行えることで、コンテンツの価格の下落を抑えられる。
二つはプラットフォーム側がコンテンツを製作していくケース。
真っ先に思いついたのが任天堂ある。
任天堂はハードからソフトまで自前で作っている(俗に言う垂直統合モデル)
かつ、任天堂はソフトで儲けるビジネスモデルだから、安易にコンテンツの価格を下げたりしない。
日本のゲームクリエイターが超優秀な理由は、単純に給料がいいから!という話があるが、任天堂はソフトの売上が高い分、クリエイターの給料も高く設定することができる。プラットフォーム側がコンテンツを製作することで、コンテンツの値下げ競争に巻き込まれることがないのである。
三つはオンライン以外での売り先を作っていくこと。
今、ボードゲームの市場はAmazonによって食いつくされているが、その中でも唯一生き残っている国はフランスである。
昔からフランスは反Amazon法を採択しており、国自体がAmazonを使わないような方針を取っている。この行為は、昔は時代遅れだと揶揄されたらしい。
参考リンク→「反アマゾン法」無料配送を禁止する法案、フランスで可決
フランスは、商店街内でボードゲームのゲーム大会が頻繁に開催され、ボードゲームの文化が生き続けている。結果、オンラインで取れない領域を抑えることで、文化の衰退を免れることができた。
世界のIT市場を見ても、米国に続いて中国が対抗馬に挙げられるが、これも海外の製品を取り入れずに自国の企業を育てていったことが大きい。Googleが巨大になっていた時期に、中国ではバイドゥなどのサービスを国内で着々と育て、シェアを広げていった。時間が経った今では、中国国内では世界的に見ても大きなIT企業が多く生まれている。昔の日本が国内企業を強くするために、海外の製品を輸入しないようにしたのと同じパターンである。
フランスの例にしてもそうだが、自国のマーケットを守ることが、コンテンツの保護に繋がる。
まとめ。
プラットフォームが大きくなることは、その中にあるコンテンツにも大きな影響をもたらしていく。コンテンツの価格の均一化は、コンテンツの質の低下に繋がっていく。福袋のように一定の価格で商品が売られることで、単体の商品の独自性やブランドは失われていく。
とりあえず、自分は反Amazon派でもなんでもないのだけど、力を持ったプラットフォームからコンテンツを守る方法について考えてみた。