日本語にとって蛙は欠かせない存在。
「蛙」を使った言葉やことわざを一度は聞いたことはないだろうか?
言葉遊びの中で、蛙は欠かせないレギュラーのような存在だ。
あまりにも身の回りの日本語で、「蛙」という単語が多い気がするので、少し調べてみた。
ことわざを「蛙」のワードで検索した結果、こんな感じ。
「ハト」の場合はこう。
結果、蛙7、ハト1の結果数だった。(ちなみに豚は4)
あらためて蛙強すぎる。
「井の中の蛙大海を知らず」は、蛙ならではの例えだと思うんだけど、「蛇に睨まれたカエル」とかは、別に蛙じゃなくても良い気がする。
あと、「蛙の子は蛙」は、一言言いたくて、蛙の子供はオタマジャクシである。たとえとしてはあまり上手くない。他の哺乳流の生き物のほうが分かりやすい。
他にも、ゆで蛙という言葉があって、熱湯にカエルを入れるとびっくりするが、水を徐々に温めていってもその変化に気づかないという意味で使われている。
色んな場面で蛙は活躍しているのだ。
なぜ蛙がこんなに使われるようになったのか、自分なりに分析してみた。
・昔から身の回りにカエルがあり、親しんでいる存在(サルは身近に居ない)
・両生類なので本能のみで生きているから使いやすい
・種として変化しにくい(絶滅したり変化する可能性がある種は、不安定である)
蛙の歴史は、言葉の歴史と言っても過言ではないだろう。
とか思ってたら「牛」の方がダントツ多かった
- 商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
- 牛に経文(うしにきょうもん)
- 牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず)
- 牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
- 牛は牛連れ、馬は馬連れ(うしはうしづれ、うまはうまづれ)
- 牛も千里、馬も千里(うしもせんり、うまもせんり)
- 牛を馬に乗り換える(うしをうまにのりかえる)
- 馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
- 馬を牛と言う(うまをうしという)
- 馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
- 馬を崋山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ(うまをかざんのみなみにきし、うしをとうりんのやにはなつ)
- 馬を買わんと欲してまず牛を問う(うまをかわんとほっしてまずうしをとう)
- 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)
- 九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
- 草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
- 鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
- 鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
- 角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
- 風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)
- 風馬牛(ふうばぎゅう)
言葉の歴史は、牛の歴史である。