未タイトル

童貞、ときどきビッチ

シンゴジラを見てきた。

話題のシンゴジラを見てきた。

ゴジラシリーズを映画館で見るのは初めてなんだけど、超面白かった。さすが庵野監督。

 

ドワンゴの川上さんの本にも書いてあったけど、ストーリ自体に価値はなくてコンテンツの見せ方に圧倒的な差が出る。

今回のゴジラ映画も、基本的なストーリー性の深さはあまり感じなかった(だってゴジラだもん)んだけど、絵の見せ方が超すごい。ほえーとなった。

 

あと、個人的な本作品のテーマは「意思決定」だった。

日本では、ヘリでゴジラを確認→トップの首脳陣が会議→首相が決断→偉い人が指示→ヘリから攻撃

みたいな感じなんだけど、

アメリカの怪獣映画は、現場のヘリが怪獣を見つけたら速攻でミサイルをバンバン打ちまくる。

 

日本の意思決定が揶揄みたいに描かれていて色々と面白かった、

ゴジラのようなイレギュラーな事態には、日本は弱いんだなーと改めて思った。

(日本は災害が起きたときの対応などは凄いんだけど)

 

多分、狩りじゃなくて農耕文化が強いのが関係していると思うんだけど。

 

さて、実際にゴジラが来たらどうするんだろう。

日本語にとって蛙は欠かせない存在。

「蛙」を使った言葉やことわざを一度は聞いたことはないだろうか?

言葉遊びの中で、は欠かせないレギュラーのような存在だ。

 

あまりにも身の回りの日本語で、「」という単語が多い気がするので、少し調べてみた。

 

ことわざを「」のワードで検索した結果、こんな感じ。

カエル・蛙のことわざ - 故事ことわざ辞典

 

「ハト」の場合はこう。

ハト・鳩のことわざ - 故事ことわざ辞典

 

結果、蛙7、ハト1の結果数だった。(ちなみに豚は4)

 

あらためて強すぎる。

井の中の蛙大海を知らず」は、ならではの例えだと思うんだけど、「蛇に睨まれたカエル」とかは、別にじゃなくても良い気がする。

 

あと、「蛙の子は蛙」は、一言言いたくて、の子供はオタマジャクシである。たとえとしてはあまり上手くない。他の哺乳流の生き物のほうが分かりやすい。

 

他にも、ゆで蛙という言葉があって、熱湯にカエルを入れるとびっくりするが、水を徐々に温めていってもその変化に気づかないという意味で使われている。

色んな場面で蛙は活躍しているのだ。

 

なぜ蛙がこんなに使われるようになったのか、自分なりに分析してみた。

 

・昔から身の回りにカエルがあり、親しんでいる存在(サルは身近に居ない)

・両生類なので本能のみで生きているから使いやすい

・種として変化しにくい(絶滅したり変化する可能性がある種は、不安定である)

 

蛙の歴史は、言葉の歴史と言っても過言ではないだろう。

 

とか思ってたら「牛」の方がダントツ多かった

 

言葉の歴史は、牛の歴史である。

コンテンツの価格が均一化していく話

AmazonKindle unlimitedがスタートした。

Amazon CAPTCHA

 

本サービスの内容は、月額980円で、本・雑誌・コミックを好きなだけ読むことができるものである。ユーザーからすると万々歳なんだけど、クリエイターからするとどうなんだろうと思った。

色んな所で議論が広がってそうなテーマなので、これを機にプラットフォームとコンテンツの関係性について纏めてみたいと思う。

 

まず、ユーザーがコンテンツにお金を払うのでなく、プラットフォームに価値を払うようになると、コンテンツの価値は必然的に下がるようになる。

原則として、プラットフォームはコンテンツを守るような役割を持っていない。プラットフォーム側がコンテンツを作るようになれば、コンテンツを高く売って儲けるようにするのだが、普通はそのようなこともなくAmazonプライムKindle unlimitedといったプラットフォーム自体にお金を払う「会員制モデル」が主流になっている。

iTunes楽天、LINEなど、プラットフォームを持つ企業が、同じようなサービスを展開しているのもそのためだ。(特に、Amazon楽天の戦略は驚くほど酷似している)

 

顧客はコンテンツでなく、プラットフォームに価値を感じるようになると、相対的にコンテンツの価値は下がっていく。

 

今までに似たような出来事が何度かあったような気がする。

AppleiTunesを出した時、初期はクリエイターが優位な契約条件だったが、年々それが逆転してきた。

・携帯のキャリア戦争の時、着メロや着せ替えなどのコンテンツは宣伝材料として使われた。

特に、携帯キャリアがわかりやすい事例で、会員の獲得に向けてのキャンペーンでは、キャリアの電話料金でなくコンテンツの価格を下げる方が多い。

参考サイト:コンテンツを客寄せの道具にしないために。|川上量生の胸のうち|川上量生|cakes(ケイクス)

 

落合陽一著書「魔法の世紀」の一節で、「コンテンツは、プラットフォームの設計によって作られ、その文脈を外れることはない」という言葉があった。(うろ覚え)

結局、コンテンツはプラットフォームの枠を出ないのである。

人がプラットフォームにお金を払う設計ができてしまえば、コンテンツにお金を払うという行動・考え自体も減っていく。

 

コンテンツを「商品」とし定義の幅を広げると、類似する業界がいくつか見られる。

農業のJAが、野菜を一定の価格で買い取るのもそうかもしれない。クオリティの平準は保たれているが、良い野菜を作っても他と同じ値段で流通される。

米国で起きたアタリショックも、ゲームソフトを精査せずに生産・販売した結果、クオリティが大きく下がった。

 

プラットフォームが力を持つたびに、クリエイターの作ったコンテンツは買い叩かれやすくなる。流通側(プラットフォーム)が買いやすくなるからだ。

その結果、次は質の低いコンテンツが生まれるようになっていく。よく考えると普通のことで、日本の書店で400円で売っている本が物価の安い後進国でも(ほぼ)同じ値段で売られるようになる。

クリエイターのインセンティブが減るから、結果的にコンテンツの質の低下に繋がっていく。

 

以上が、コンテンツの価格が下がる原因となる。次に自分なりにコンテンツの価格を守る方法について考えたみた。

 

一つは値段設定の幅をもたせること。

クリエイターがコンテンツの値段を決められることで、コンテンツの均一化を防ぐことができる。今回のニュースを例に挙げると、プロモーション以外の価値を持つようになる。

日本の「note」のようなサービスがイメージに近い。クリエイターが自分で宣伝販売をしなければいけないという煩わしさがあるが、面白い取り組みだと思う。

個人的に「note」の面白いところは、広告やアフィリエイトしか収入源がなかったブロガーが、原稿自体に価値を付けることができたのである。価格設定を自由に行えることで、コンテンツの価格の下落を抑えられる。

 

二つはプラットフォーム側がコンテンツを製作していくケース。

真っ先に思いついたのが任天堂ある。

任天堂はハードからソフトまで自前で作っている(俗に言う垂直統合モデル)

かつ、任天堂はソフトで儲けるビジネスモデルだから、安易にコンテンツの価格を下げたりしない。

日本のゲームクリエイターが超優秀な理由は、単純に給料がいいから!という話があるが、任天堂はソフトの売上が高い分、クリエイターの給料も高く設定することができる。プラットフォーム側がコンテンツを製作することで、コンテンツの値下げ競争に巻き込まれることがないのである。

 

三つはオンライン以外での売り先を作っていくこと。

今、ボードゲームの市場はAmazonによって食いつくされているが、その中でも唯一生き残っている国はフランスである。

昔からフランスは反Amazon法を採択しており、国自体がAmazonを使わないような方針を取っている。この行為は、昔は時代遅れだと揶揄されたらしい。

参考リンク→「反アマゾン法」無料配送を禁止する法案、フランスで可決

 

フランスは、商店街内でボードゲームのゲーム大会が頻繁に開催され、ボードゲームの文化が生き続けている。結果、オンラインで取れない領域を抑えることで、文化の衰退を免れることができた。

世界のIT市場を見ても、米国に続いて中国が対抗馬に挙げられるが、これも海外の製品を取り入れずに自国の企業を育てていったことが大きい。Googleが巨大になっていた時期に、中国ではバイドゥなどのサービスを国内で着々と育て、シェアを広げていった。時間が経った今では、中国国内では世界的に見ても大きなIT企業が多く生まれている。昔の日本が国内企業を強くするために、海外の製品を輸入しないようにしたのと同じパターンである。

フランスの例にしてもそうだが、自国のマーケットを守ることが、コンテンツの保護に繋がる。

 

まとめ。

プラットフォームが大きくなることは、その中にあるコンテンツにも大きな影響をもたらしていく。コンテンツの価格の均一化は、コンテンツの質の低下に繋がっていく。福袋のように一定の価格で商品が売られることで、単体の商品の独自性やブランドは失われていく。

とりあえず、自分は反Amazon派でもなんでもないのだけど、力を持ったプラットフォームからコンテンツを守る方法について考えてみた。

大人になってから「ピクミン」をやりたくなった話①

僕の知らない間に「ピクミン3」のゲームが発売されていたらしい。

高校の時にピクミンをやって、おもしれーー!って感じだったので、ピクミン3Wii Uごと買おうか少し迷った。

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大人になってピクミンの実況動画などを見ると、色んな気付きがあり面白く感じた。このゲームは大人がすべきでは?と思う。

 

ゲームの内容

ピクミンを知らない人に向けて、本ゲームの内容を軽く説明するとピクミンのゲームは以下のようになっている。

・主人公のオリマーはロケットが故障し、ピクミンが住む星に辿り着く

・散らばったロケット部品を回収することのがゲームのクリア条件

ピクミンはなぜか自分に懐いており、育てたり、戦わせたりすることができる

ピクミンは3種類いる    ※シリーズ2以降だと5種類に増える

ピクミンは種類ごとにそれぞれ個性がある(赤ピクインは攻撃力強め、黄ピクミンは電気に強いなど)

ピクミンは割と簡単に死ぬ

・酸素カプセルの都合で、ゲーム内で日数制限がある

 

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画像出典:「ピクミン3」のミッションモード、ビンゴバトルモード、紫ピクミンと白ピクミン

 

グランド・セフト・オートなど、バイオレンスなゲームは今までに沢山出ているが、ピクミンどうぶつの森のビジュアルかつ残酷な内容となっている。そのギャップが面白いのだ。

ピクミンは死んだ時に、「わー」とか「ふにゃーらら」と叫ぶのだが、この演出が非常に胸を打たれる。一応、オリマー自身も攻撃できるのだが、その攻撃力は微々たるものなので、ピクミンを投げることに専念した方がいい。

 

また、普通にプレイすると主人公のオリマーが死ぬことは殆ど無い。

RPGなどで主人公と仲間が一緒に戦うシーンは多くあるが、ピクミンでは主人公は戦わず、仲間のピクミンだけが永遠に戦うのだ。

 

あと、ピクミンのテーマ曲である「愛のうた」も悲しい歌詞になっている。

引っこ抜かれて あなただけについて行く今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる

ピクミンのゴール

本ゲームは、ピクミンを増やすのがゴールではなく、あくまでロケット部品を回収するのが目的である。(なんでピクミンというタイトルなんだ)

ロケット部品のパーツは何種類かあるが、全部集める必要はなく、8割程度のパーツでもゲームクリアとなる。そのため、勝てないステージはすぐに諦めて、次のステージに進むべし!という損切りが非常に重要になる。

ピクミンを大事にするほどクリアが難しくなるため、プレイヤーのモラルが試される。

 

君主論で有名なマキャベリの言葉を引用すると、「目的のためなら手段は正当化される」

そう、ピクミンマキャベリズムなのだ。

某インフルエンサーにあるサイトをシェアしてもらって結果

ある時、知り合いの社長にFacebookで自分のWEBサイトをシェアしてもらった。

その人は、Facebook上では2,000人以上の友だちがいて、少し業界では名のしれた人だった。これはかなりPV数が伸びるぞー!と思ったのだが、サイトのPV数はいつもの+30くらいだった。

実はこれ逆に凄いんじゃない?と思った。

この出来事について、あまり深い考察はできないんだけど、実はWEBマーケティングの会社が喉から手が出るほど欲しがる事例なのかもしれない。

 

もっと詳しく知りたい方がいれば、200円位で詳しく教えるのでどうぞ!

アボカドは危険な食べ物かもしれない

昨日、アボカドを包丁で切ってると指を切った。

僕は料理を良くするのだが、今まで包丁で怪我をしたことは数える程度しかない。そんななかアボカドで怪我をする割合が圧倒的に高い事に気づいた。

多分、怪我をした理由の20パーセント位はアボカドの調理によるものだろう。

 

個人的にアボカドが怪我をしやすい理由を分析すると、以下のとおりである。

・皮が固いので力を入れる

・種が邪魔

・表面が滑る

 

念のため、【アボカド 手 包丁 怪我】で検索すると以下のブログが出てきた。やはりアボカドは危険である。

包丁で手首をザクっ・・痛さのあまり絶叫しまくる私をよそに怪我の処置をする母 | プロが教える失敗しない包丁の選び方

 

危険な食べ物を思い浮かべると、「ふぐ」や「ささみ」を想像するが、調理する時に最も怖いのは「アボカド」である。

といってもアボカドは美味しいし栄養もあるので、これからも常用する。ただ、アボカドは怖い食材であることも知ってほしい。

ぶつけようのない怒りを、本ブログでつらつらと書いていく。

『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』は、3D事業者にオススメの本かも。

最近読んで面白かった本

『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』

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www.amazon.co.jp

この本は、新技術によって変わりゆく私たちの行動模様について考察したものである。

まず、ビカミング、フローイング、スクリーニング、リミクシング、シェアリング、トラッキング……など12の法則をさらっと説明している。

12の法則の多くは、従来のインターネット時代に生まれた考えや概念のようなものである。その法則が、今後の新技術の発展により混ざり合い、文字通りカオスな時代になると述べている。

日々移り変わるプロダクトを予測するのでなく、今までに起きた潮流のパターンや特性をひたすらに知ろうと言うのが本書のテーマだ。

 

以下、個人的に面白かった部分をピックアップ。

自動車、靴などの名詞は形として触れることができず、動詞になって残る

ニューヨークタイムズは「Internet」というつづりを「internet」に変えると宣言している。最初の一文字を小文字にし、インターネットを固有名詞でなく一般名詞にしてなったと認めた。

特定のプロダクトを作るよりも、変化し進化するプロセス自体のほうが100万倍優れている

 

などなど。

僕は糸井重里さんの「インターネット的」という本が好きなのだが、本書の内容はそれに近い感覚を抱いた。新技術により生まれる概念を淡々と予測しており、ビジネス的な視点はあまり出てこない。情報量は増えないが、感受性だけが研ぎ澄まされていく感じがする。

また、作者のケビン・ケリーがWIREDの編集者ということもあり、糸井さんと同じ「書き手」のポジションであることも大きい。ビジネスと少し離れた俯瞰的な立場にいることで、一般的なビジネス書と違った視点があるのだろう。

 

あと、本書の表現も好きだ。

「ビットはよく動く」「ビットはコピーが大好きだ」「ビットは同じ所を好まない」みたいな感じで、なぜか急にビットの擬人化が始まる。そんな変態チックな一面もこの本の見どころである。

モノを再定義する

この本を哲学書として見ても面白く思う。

「靴」を人を動かすアイテム(道具)だと考えると、未来の靴はアルカナイドだったり、使い捨ての靴底だったり、動く床かもしれない。

その未来がきた際、自分たちは「靴」の役割について、もう一度考えるようになるだろう。将来、動く床を「靴」と呼ぶかどうか、スーツを着た大人が議論を重ねる光景を想像すると面白い。

  

本書を読むにつれて、「今こそ全てのモノの価値が再定義されていくのではないだろうか」と感じた。技術が発展する将来、人類にとって1番必要とされる学問は哲学かもしれない。

 

また、新興産業で事業を行っている人を読者層にすると、自身の事業の方向性を考えるのに、非常に役立つ内容となると思う。

本書は、AR、VR、3Dプリンター、IOTなどの多くのテーマを取り扱っている。自分の会社が3Dプリンター事業であることも関係するが、タイトル通り3D事業者にこそ是非読んで欲しい内容だ。

 

ある市場の未来を知るには、その市場の過去を学ぶのではなく、他の市場の歴史を知ることが1番近い方法だと言われている。例えば、3Dプリンターの場合、ゲーム業界の歴史などは、ヒントになると思う。

本書では、様々な技術革新によって起こった社会的潮流を、長いスパンでまとめているので、自分が関わっている業界にも十分応用が効くと思う。

 

長々と書いてしまったが、もう一つ。

 

自分は将来的に、3Dプリンターが単にものをつくる機械ではなくなるのではと考えている。

例えば、3Dプリンターを"XYZ軸の方向で物質を積み重ねていく機械"だと定義した場合。

3Dプリンターは、"患者に薬をプリントする医療機器" "物を配送するイチ手法" "形状を保存する記憶装置"として使われるかもしれない。

定義を少し変えるだけで、活用方法の企画案は沢山生まれてくる。

 

ここ近年で、3Dプリンターという言葉の使われ方が軽くなってきた気がする。例えば、服を印刷する機械を「服を3Dプリント」として紹介されるようになってきた。

このような紹介の仕方に対して、批判的な意見も多いのだが、個人的には3Dプリンターの名前が一般化されたと思い、ポジティブに考えている。

 

3Dプリンターはもっと使用用途を明確化すべきだ」と言う人もいるが、個人的には3Dプリンターをもっとゆるい感じにしたい。 

個人的にフードプリンターが好きなんだけど、あれもFDM方式をお菓子に当てはめ、3Dプリンターの定義をゆるくすることで生まれた製品だと思う。

 

いつしか、「3D Printer」も、 固有名詞でなく一般名詞になるようにしたい(知らんけど)

 

では、長く書きすぎたので、寝る。